〔仮説社PublicRelations〕No.199

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〔仮説社PublicRelations〕No.199
2015年7月14日
http://www.kasetu.co.jp/
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★目次★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

『たのしい授業』6月号の反響(後編)
 「編集委員のおたより」を中心に

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 『たのしい授業』について,毎月,主に編集委員からですが,た
くさんの感想をいただいています。でも,『たのしい授業』の「編
集委員会ニュース」欄で紹介できるのは,スペースのつごうで,ご
くごく一部。そこで,このメールマガジンで,そのほとんどの部分
をご紹介させていただいています。
 つづいて8人分のおたよりを紹介します。かなり長文です。
 なお,「おたより」は原則として原文のままです。表記などは統
一していません。


◇◇◇ 2015年6月号「ほめたりしかったり」 ◇◇◇


●高木仁志(愛知・瀬戸街角かがく倶楽部)
 ボクは今「“仮説実験的認識と平和”リレー講演会」として2回の
講演会を開催し,もうすぐ3回目を予定しています。その「認識
論」について◆「アリがタイなら倉庫」で<認識論を問題にする>
と題して,山田正男さんが板倉先生の“お話”を紹介してくれていま
した。「仮説実験授業が認識を問題にするから討論できるんです」
と。
 そうすると,ボクが今やっている「仮説実験的認識と平和」の関
係性について考えてみると,ボクは「“平和”を大切にしようと思え
ば“認識論”をしっかりと問題にし,そしてその“平和”のための討論
ができるようになっていくことこそが今の時代には必要なのではな
いだろうか」と考えてみました。
 板倉先生は◆4月号の「続刊の言葉」の中で「言葉を大切にした
い」とおっしゃっていましたが,それはつまりこの「認識論を大切
にしたい」というお気持ちだったのではないでしょうか。
 そのことを踏まえた上で,◆平賀さん編集の板倉先生の「<心>
を考えた科学教育」という文章は,新総合読本の中の「死んだらど
うなるか」という文章と合わせて読むと,まさに現代の「平和論」
として読むことができそうだと思いました。
 そう思って,◆伴野さん,◆佐竹さん,◆中林さん,◆重森さん
の,〈子どもたちと教師のさまざまな関わり方〉を読むと,そこに
子どもたちと教師の「平和論」みたいな関係性として読むことがで
きました。要するに,「子どもをちゃんとした一人の人間として対
峙する」ということと,「他の国々をちゃんとした一つの国々とし
て対峙する」ということがなんとなく同じようなことなのかもしれ
ないと思えてきたのです。
 ちょっと小難しい「感想」になりましたが,「認識論リレー講演
会」を続けて体験したことから,このような固いことも考えてみた
くなっています。

●荒居浩明(神奈川・小学校)
◆佐竹重泰さんの「子どももお母さんも泣かしちゃった」が最もよ
かったです。読んでいて,岡本さんのお母さんが泣きながら話して
いるところを読んでいて,私も涙がとまりませんでした。それは,
かなり近いことが自分にもあったからです。保護者の方に文句を言
うのは簡単です。悪いことを並べ立てて,家庭のしつけがなってな
いというだけのことです。しかし,それよりも言われて嬉しいこと
を話してあげる方がどんなにいいことかと思うのです。
 と言っても,日々のさまざまな出来事に,思わず怒鳴ってしまう
こともあるのは事実です。岡本さんの例のように「何度言われても
わからない」ようなときは苛つくのはかなり当たり前です。しか
し,自分も子どもの時にそうだったので,よく考えると悪気があっ
てしているわけではないことが多いと思うのです。
 怒ることがいいか悪いかよりも,ふだんいかに子どもたちを満足
させるような授業をして,子どものあるがままを受け入れようとし
ているかにかかっているなぁと最近思っていたので,この記事はと
てもとてもよかったです。
◆中林典子さんの「叱るのが苦手な私が好きな叱り方」は,佐竹さ
んの記事と合わせてとてもよかったです。題名もとても読みたいと
思いました。いろいろな方に聞いて,自分にできるところを行なお
うとしているのが,私にもできそうに思えました。私は,じつは木
下富美子さんの例のように,スコールのように怒って,すぐに元に
戻るが好きです。子どもたちも,そういう私を受け入れてくれてい
るようです。最近はそうでもなくなったかな。
◆林泰樹さんの「自然と育つのを待つ」もよかったです。
 内容は,もちろんそうだと思いましたが,私が感動?したのは,
林さんでもイライラして怒りっぽくなることもあるのかということ
です。私が怒りたくなるのもうなづけると思いました(笑)。
◆小川 洋さんの「無気力な子どもたち?」もいいです。
 小川さんの「空見上げて」は,誰に紹介しても大好評でした。そ
れに続いて,こうして小川さんの記事が載っているのが,私にはう
れしくてたまりません。小川さんのかっこつけない正直な文章にい
つも勇気づけられます。
 私もみなさんが思うよりもくたびれているからです(笑)。
 しかし,最近野外観察の活動をしていて,今までに知らなかった
世界をいろいろ見て,またまたたのしみが増えているのも事実で
す。例えば,両生類・プランクトン関係・水生昆虫・キノコ等な
ど。伝えたいことがたくさん出てきました。
板倉聖宣先生の「<心>を考えた科学教育」。
 総合読本「死んだらどうなるか?」は何度も読んでいます。今回
の記事でさらにその話の奥が見えてきました。宗教を心の問題とと
らえているところ,押しつけではやめさせられない話,地獄-極楽
の出現のこと,どれもなるほどというものです。そうなると,心が
ある人間というものは,どうしても宗教に頼りたくなるというもの
であるということもわかります。それとは別に科学をしっかり伝え
て行くことの重要性がよくわかったことが嬉しいです。
◆それ以外にも横山尚幸さんの「〈インスタント麺の生産の変遷〉
と,その後」,これもたいへんたのしく読ませていただきました。
グラフに表すとよくわかります。

●木村 寛(鹿児島・中学校理)
◆伴野さんの「子どもがかわいく思えるとき」と佐竹さんの「子ど
ももお母さんも泣かしちゃった」に登場する2人の小学生を足し算
したような中学3年生が私のクラスにいます。下ネタ大好き,お
しゃべり大好き,でも仮説実験授業の時は意見もよく言ってくれま
す。この生徒に出会って2カ月が過ぎましたが,4月の頃程彼の存
在が気にならなくなりました。好きになれる瞬間を<たのしい授業
>で増やすこと,これが最優先だと感じました。
◆中林さんの「叱るのが苦手な私が好きな叱り方」
 僕も叱るのが苦手なので,「叱り方」に関する資料には,とても
興味があります。今までに読んだことがある内容のものもありまし
たが,再確認することができました。
◆林さんの「自然と育つのを待つ」
 この資料には,とても考えさせられました。私の勤務する中学校
では,数年前から「迷惑をかけたり」「校則を守れない」生徒を排
除する方向で進んでいるからです。この波にのってしまいそうにな
る自分がでしたが,少し逆らってみようと決心することができまし
た。
◆井上さんの「「感動」でつながる教師と子どもたち」
 管理職からは「楽しいだけでなく,基礎学力をつけないといけな
い」とか「知識を使えるようにしないといけない」と色々言われ
「はい」ととりあえず答えます。でも「やっぱり楽しさと感動が1
番だよなー」と心の中では思っています。

●市原靖隆(熊本・中学理科)
◆再会(阿部 徳昭さん) ★★
 〈難しいものから易しいものへ〉という系統性の有効性,人権的
な配慮を再確認しました。
◆こどもがかわいく思えるとき(伴野 太一さん)★★
 ストレートではなく変化球を投げてくる子。こんな子が卒業後も
つながっていると思います。めげずに問いかけていくことが大切で
すね。
◆叱るのが苦手な私が好きな叱り方(中林 典子さん)★★★
 ちょうど学校で問題が起きて,生徒を指導する場面がありタイム
リーでした。臨採1年目の先生や教育実習生もいたので,職員全員
に一部抜粋して(A4表のみ)して配布しました。
◆自然と育つのを待つ(林 泰樹さん)★★★★
 以前学校が大変な時同じような経験をしたので,つい涙が出てし
まいました。キーワードは,「多面的な評価ができる人が学校にい
ること」です。問題行動を起こす子は,別の面では魅力的でもあり
ます。そんな子の成長を見守れる,変化を楽しめるのが教師の喜び
でもあります。居場所を作るために〈超法規的措置〉をとるという
事も選択肢にあると柔軟な対応が可能ですね。多くの学校で参考に
なると思います。
 板倉先生の文章「矛盾は実在するか」*に,「矛盾というのは,
運動・変化しているものを無理に静止させてとらえることから生ず
る」とあります。これに当てはめると,その瞬間の問題行動に対し
て,校則に矛盾した〈超法規的措置〉をとることは,自然と育つの
を待つ,10年後20年後を見据えた教育的な配慮と考えればぜんぜ
ん矛盾のない措置だと言えると思います。
*「矛盾は実在するか」は,『たの授』No.107に掲載。板倉『新
哲学入門』仮説社,に収録)
◆「感動」でつながる教師と子どもたち(井上 勝さん)★★
 感動しなければ記憶に残らない。まさにそうですね。感動のあ
る,たのしい授業を提供していきたいです。
◆〈心〉を考えた科学教育(板倉先生)★★★★
 以前,「死んだらどうなるか」を,生徒と読んだことがありま
す。現在は,要点のみを〈もし原〉の学習後に話しています。なん
となく宗教の問題がスッキリしなかったからです。しかし,今回の
解説を読んで,もう一度というか,今日,土曜授業があるので,
〈もし原〉と〈燃焼の第1部〉を終えた中学2年生と一緒に読んで
みようと思います。感想で良いのがあれば,メールします。
 「年忌」が江戸時代の商業政策というのも「なるほど」と思いま
した。我が家でも年忌の合理化を,おそるおそるやっていました
が,板倉先生の話で今後は,堂々と合理化,省エネできます。
(笑)
◆Into the wild(七里 有三さん)★★
 今回も楽しく読ませて頂きました。私立学校をやめる決意や教え
子の奥さんとの出会い,シベリア鉄道の旅,波瀾万丈でうらやまし
く?思います。

●中村 文(福岡・小学校)
 こんにちは!6月ももう下旬に入りました。6月から,《三態変
化》をはじめました!!といっても,私,《三態変化》をするの
は,初めてなのです。初めての授業書では,かなり緊張してしまい
ます。そして私,火が怖いのです(笑)。結構ドキドキしながら予
備実験を行っています。
 案の定,子ども達の前でやる実験もちょこちょこ失敗を・・・。
ナフタリンを蒸発皿に入れすぎ&火力が強すぎたみたいで,ナフタ
リンに火が燃え移ったり,ナフタリンの結晶がうまくできなかった
り・・・。
 予備実験で,「よし!」と思っていても,やっぱり実験は気をつ
けないといけないなと改めて思いました。はい。もう本当に毎回ド
キドキです。
 昨日,第一部が終わったのですが,子ども達の評価も良く,「あ
あ,よかった・・・。でもうまく実験を見せられなくてごめんなさ
い!!」となっていました。では,感想です!ちなみに今回は,板
倉先生の資料の感想がとても長いです。
◆〈心〉で考えた科学教育(板倉先生)
 今回,『たの授』をちょこちょこ読み進めていて最後に読んだの
が,この板倉先生の講演記録でした。実は,この資料をずっと読め
ませんでした。
 なぜなら,6月初旬から,私の叔母が危篤状態になり,先週の金
曜日に亡くなったからなのです。53歳でした。叔母は,膵臓ガン
で昨年の3月に検診をしたらすでに転移していました。そのとき医
者から「1年ぐらいだろう」と告げられていたのです。ですから,
ある程度覚悟はついていました。でも,そう思っていても実際に亡
くなるとショックでした。そういうこともあって,読めなかったん
です。ある程度落ち着いて,亡くなった後この資料を読んだという
事になります。
 先週の土曜日,葬式がありました。年に1〜2回会う程度だった
のですが,やっぱり叔母がいなくなってしまった事が本当に悲し
かったし,いとこが泣いている姿を見るのも耐えられなく
て・・・。また,体型もふっくらしていていつもにこにこしていた
叔母が,最期小さくやせ細っている姿を見るのも苦しくて,終始涙
が止まりませんでした。
 でも,悲しくてもいろいろ考えている自分(どこかでこの雰囲気
を客観的にみている自分もいた?という感じです)もいたんです。
お坊さん?がお経を読んでいるときに,「あれ?このお経は一体何
のために読んでいるのかな?」と思っている。手を合わせて「成仏
して下さい」と祈っている自分もいる。心の中で「叔母も小さな小
さな原子分子になるのか」と思っている自分もいたりしていたんで
す。
 その後,火葬場に行って実際に骨になった叔母を見たとき(一瞬
息をのみましたが),そのときにようやく「あ,叔母はもういない
んだ」と割り切れたというか・・・改めて叔母は死んだんだという
事を実感したんです。区切りがついたんです。気持ちの。「叔母
は,本当に原子分子になって,気体になってしまって見えなくなっ
た!」と思ったんですよね。
 あ,でも,叔母の写真や映像はまだ見ることはできません。やっ
ぱりいろいろ思い出してしまって苦しくなるので,そこはもう少し
時間がかかりそうだと思うんです。
 板倉さんの資料の中に,「お葬式は生き残った人のためにやるの
であって,死者のためにお葬式をやってるんじゃない」という文章
がありました。資料を読んでびっくりしたんですが,お葬式から火
葬場に行った後,私本当にそう思ったんです。生きている人が,死
んだことを受け入れるためのものなのかなー?って。
 火葬場から,父の実家に向かうため車にのりました。その車中
で,父と「火葬場で泣く人はいないよね。もう骨になった=死んだ
という事を受け入れる。人って強いよね。そうやって死んだことを
ちゃんと受け入れて,区切りをつけてこれから先生きていけるっ
ちゃけんね」と話をしていました。もしかしたら,父も私と同じよ
うに思っていたのかもなーと思います。
 板倉先生の,「〈霊〉とは〈思い〉である」の文章は,すごく
ぐっときました。私,亡くなった人を忘れたくないですもん。お盆
とか,何回忌とかに親戚が集まって,近況報告しながらも少しでも
叔母のことを思い出してもいいのかな〜って思うんです。
 霊を信じているわけでなく,魂がさまようから親戚であつまろ
う!とかではなく。そのときにみんなで集まって思い出話してもい
いじゃない?って感じですね。
 ですから,板倉先生の資料は私にとってはタイムリーというか,
死んだらどうなる?と考える出来事があった後に読んだので,合点
がいくこともたくさんあり,自分の事と照らし合わせて読ませてい
ただきました。てか,なんか自分の事ばかりですみません。日記み
たいですよね。
◆子どもがかわいくおもえるとき(伴野さん)
 興味のないことをぜんぜんやらないえいすけ君,ケタケタ笑うこ
うせい君。想像しただけで,私ブチッ!となりそうです笑。もし,
自分のクラスにいたら,私どんな対応するんだろう??もしかした
ら,「ちゃんとやってよ!!」と怒ってばっかりかもしれない
なぁ・・・。と思いました。短気なので・・・。
 でも,たのしい授業をしている時,(まぁそのときにも態度が気
になる子って結構いるんですけど)ふと「コイツ,なかなかいいこ
とかくやん!!」となることってあるんですよね。
 私,この間,文章を書くことが苦手なM君が《三態変化》第一部
の感想に「じっけんがあってすごかったです。たのしかった。ナマ
リがとけるなんてありえないと思いました。すごい。かたまったら
お皿みたいですごいなと思いました」と書いてくれたんです。
 「わー!!こんなに書いてくれたんだ!!」と思うと,嬉しくて
嬉しくて。
 伴野さんの資料に「いつもや見た目や自分自身の感情で,その子
のことを『変なヤツだなぁ』『嫌だなぁ,あの子』『面倒な子だ
な,苦手だな』なんて思ってしまう私ですが,〈たのしい授業〉を
通して,そういう子を好きになってしまう,可愛く思っているそん
な自分がイイなぁと思える瞬間です」という文章がありました。ほ
んと,そうですよね。でも,それがわかるのって,たのしい授業を
しているからだと思うんですよね。だから,たのしい授業をやめら
れないのだなぁ〜と思っています。
◆叱るのが苦手な私の好きなしかり方(中林さん)
 私も叱るのが苦手です。そして,叱ったら相当怖いらしい(子ど
も談)のだそうです。でも毎回叱った後に「嗚呼,叱りすぎた」と
毎回がっくりしています。言い過ぎちゃうのだと思います。怒鳴っ
ていることもあるし。
 中林さんの資料では,しかり方の方法が具体的に書かれているの
で読んでいてなるほどなーと思いました。私が気をつけているの
は,「3.怒るときは嵐(スコール)のように怒る」「6.いやな
ことはいやとはっきりいう」「7.なぜ,怒っているか自分の気持
ちを説明する」というところです。私,怒っているときに,「先生
は,そんなところをされる(みる)のは嫌!!」と言っちゃった
り,「怒っている理由はここ!」って説明したりします。そして,
本当にすぐに元のモードに戻るように心がけています。
 ただ,一つ気になっていることが……。
 実は,昨日(金曜日)の放課後に叱った後,私が叱った後に下校
させてしまったのです。子ども達,私が元のモードに戻ってない
(戻るようには心がけたのですが)まま帰しちゃいました。大丈夫
かな?落ち込んでないかな??と,今更ドキドキしています。
 資料の中にあった「相手に伝わる言葉を選びながら」という言葉
にも「そうだよなー」と思いました。この部分って一番大事なのか
もと思います。相手に伝わらずにただ叱っているだけでは,「よく
わからない事で叱られた」という事だけ残ったり,「大きな声で叱
られた=先生怖い!」となったりしますもんね。
◆「感動」でつながる教師と子どもたち(井上勝さん)
 クラスや子どもの様子と,勝さんの学生時代の話が交互に出てき
ておもしろかったです!特に,「感動しなければ記憶に残らない」
→「学ぶ感動で人が変わる?」の部分が「そうそう!!私もそう思
う!」となりました。確かに,私もいろんな先生が教えてくれた内
容は全く覚えていません 笑。
 まぁ,楽しかった!という記憶のみです。授業の事は覚えてない
ですね〜。唯一覚えているのは,高校の生物の先生の口癖が「い
い?」で,それを授業中何回言うか,友達とカウントしていたこと
くらい?です。
 ですから,私「授業で感動した!わくわくした」という経験がな
いのだと思います。でも,初任の頃,初めて仮説実験授業を教えて
もらったとき,「すごーーい!!」となりましたし,初めて東日本
たのしい授業フェスティバルに参加したときも,わくわくしてもの
すごくたくさん教材を買って喜んでいましたもんね。
 板倉先生の「今大切なのは,知識を増やすことじゃなくて,〈科
学ってたのしい〉〈ものを考えることってたのしい〉と子ども達が
思え得るようにすること。何より〈感動〉が大切」という言葉は,
大人も子どもも同じだなぁと思いますね。では,今回は以上で
す〜!!

●荒川康夫(小学校1年担任)
 6月号で印象に残ったのは次の4つです。
◆伴野太一さんの「子どもがかわいく思えるとき」
 「こうせい君の態度にいやになる自分」が,またやになるんです
よね。こういう子っているんです。こういう子だからこそ「たのし
い授業」に飢えているんでしょう。
 ヘンな子こそ,みんなを助ける力があるんです。そういう子の意
見は見た目では分からない,聞いて見ないと分からないことなんで
すね。本当に感想文をとることは大事ですね。
◆佐竹重泰さんの「子どももお母さんも泣かせちゃった」
 ふだん忘れものいっぱいの岡本さん,授業中は,直ぐ折り紙を出
したりと,集中しない岡本さん。そんな子でも諦めずいいとこを見
つけながら日々を過ごすと,細かい態度の変化をも見つけることが
できるのですね。「机をたたいて悔しがる岡本さん」,予想が当
たったときの「小さいガッツポーズ」などは,見ようとして見てい
るから気がつくものですね。感想文でもそれが発見できました。お
母さんの話を聞いて見方が変われば,岡本さんの態度もますますか
わいく見えてきたのだと思います。
◆中林典子さんの「叱るのが苦手な私が好きな叱り方」
 褒めるときはそのまま感動を伝えればいいのだけれど,叱るとき
はつい感情的に叱ってしまうことが多い我々の子どもたちとの生
活。
 叱るのは相手の気持ちを傷つけることが多いので中止しなければ
ならないし,とっさに判断しないと間に合わない場合もあります。
短く的確にやることが大事です。
 そんなとき,叱る基準をこの資料のように決めておくのはよい方
法だと思います。感情の入る余地がなくなっていいなあと思いま
す。
板倉聖宣さんの「〈心〉を考えた科学教育」
 私自身は宗教は全面否定していますが,それを人前ではっきりや
るのは,難しいなと思いました。相手の人格否定になるからです。
そこは相手の宗教心を尊重しつつうまくやっていかないとダメなこ
とが分かりました。この「うまくやっていくやり方」が,フリーメ
イソンの方法なのかもしれないですね。
 この資料の中で「祈る」という言葉が取り上げられていました
が,安易に祈るという言葉を遣いすぎていますね。そう思って平賀
さんの後書きを見ると「天皇と祈るという言葉」では天皇の言葉の
統計が出ていました。この方も安易に祈をつかっていないようで
す。


編集委員ではないですが
●飯田哲夫(山梨・教委,社教)
 年間編集委員を希望しようかと思います。気楽に感想を述べるこ
とで,少しでも本誌の編集に参加できるなら嬉しいです。
◆1. 今回のテーマ
 「ほめたりしかったり」というテーマは,教育論の原理的な部分
に相当する重要なものと思われます。
 一つは,仮説実験授業の発想の根本にある「自由と束縛」,管理
か自由かという問題です。二つ目は,人間性は評価してはいけない
という板倉さんの思想にかかわる問題だと思います。
 一般的な教育雑誌では,子どもをほめて育てる派と叱って育てる
派という二元論的な対立が,それぞれの価値観(人間観・教育観)
の対立で終わると思う。
 しかし本誌では,どの記事も,書いている人が「たのしい授業」
というはっきりした教育思想と評価論に支えられているので,全体
として一貫性を読み取ることができました。
 では,ここの記事をみていきたいと思います。
◆2. 伴野太一「子どもがかわいく思えるとき」
 子どもの心,まあ人の心といっていいと思いますが,なかなか見
えないのだ,態度や言動の裏で動いているものがあるのだ,簡単に
判断したり,感情的になって決めつけたりしてはいけない,という
ことが伝わりました。
 でも,仙人のように達観しているのでなく,イライラしたり,ム
カッときたり,伴野先生は普通に反応を隠さない。しかし,決して
決めつけない,つながりを切ってしまわない,その中で,ふっとつ
ながる場面があり,そこが感動的です。こういう似たような経験は
わたしもありました。あれは駄目だ,と決めつけないスペースが授
業書をやっていると出てくるし,それに教師が支えられていると思
いました。
◆3. 佐竹重泰「子どももお母さんも泣かしちゃった……」
 伴野さんの「こうせい君」といい,佐竹さんの「岡本さん」とい
い,こういう子にやっぱり担任をしていると出会います。佐竹さん
も仮説をしているので,決めつけないし,チャンスを伺う姿勢なの
だけれど,どうしたって怒りがこみ上げる。そして爆発させ「なぜ
か,今度は僕の方が泣きたくなってしまいました」と言う。「やっ
ぱり〈叱る〉って難しいです」と。
 伴野さんも佐竹さんも,みんな「子どもの良いところを見つけよ
う」という視線で日々すごしているし,それができるのはたのしい
授業のバックボーンがあるからだと思います。佐竹さんの最後の文
に「〈ほめ方〉〈叱り方〉も気になるけど,それよりも,子どもた
ちが〈学ぶに値すると思う教材〉=仮説実験授業をして,子どもた
ちに〈授業〉を楽しんでもらうことをまず考えたい〉」という結論
は重要な点を突いていると思います。
 しかし,その反面,仮説を知らない,教師にとっては不可解な部
分かもしれない。結局,ほめ方叱り方が教育議論になるのは,まず
たのしい授業という前提がないからではないかと思われました。詰
まらない授業をほめ方と叱り方のテクニックでやりくりすること,
それがたけている教師がプロだとか,ベテランとか,そういう議論
がさびしいことだと思われました。
◆4. 中林典子「叱るのが苦手な私が好きな叱り方」
 「指示をされるのもするのも嫌い」というタイプは仮説には多い
ような気がします。やはり個人の自由を尊重するというものが仮説
に惹かれるからでしょうか。中林さんもそういうタイプだと思いま
すが,だからこそ具体的にどう叱るか,有効な方法について学ぶ必
要を感じたと思います。
 授業の中身が詰まらなく,ほめ方,叱り方がうまいことだけで
引っ張っていく教師には疑問ですが,叱り方がわからず,秩序が作
れずに,せっかくのたのしい授業が楽しめないという事態を避ける
ことは,私も気になり,探っていました。仮説の研究会でいくつか
出されたもので,中林さんが気に入ったものを挙げていますが,ど
れも有効な方法だと同感するものでした。
(1) あとで30の労力で怒るなら,今1の力で注意する(日高き
く代さん)
 4月が子どもにとっては,今度の先生は何を許してくれるのか,
許さないかを探る時期であるという認識は重要です。学校やクラス
のルールが題目とは別に具体的に場面に応じて確立するからです。
基本的にこれはNGということを確認する。そのために毅然と伝え
る場面が必要となります。(2) 1.危ない 2.迷惑 3.失礼 4.ず
るい 5.下品 (山路敏英さん)
 山路さんのこのルールを昔教室に掲示して,活用したことがあり
ました。何に怒られるのか,明確な基準があると子どもも教師も安
心します。つまりその場の感情で怒りが暴走すると,感情と感情の
対立が起こり,感情ですからこじれるとなかなか解決しません。不
信感が生まれ人間関係が崩れます。叱るのが怖いのはこの人間関係
を崩したくないからですが,しかし叱らないと秩序がなくなり不平
等な事態が発生し,その解決がぐちゃぐちゃしてくると,担任不信
になる。担任は君臨しなくても,秩序やルールの判定人であること
が求められます。山路さんのスッキリとした優先順位は有効です。
子どもにも説得力があります。
(3) 怒る時は,嵐(スコール)のように怒る(木下富美子・小
川洋さん)
(4) 1時間に注意するのは,3回まで(日高きく代さん)
 怒りが感情を伴うので,こうした基準を自分で作っておくと,怒
りでなく指導になる。怒りから子どもが嫌いになる,ということが
教師にブーメランのように戻ってくるときは辛い苦しいときです。
(5) 誰がやったかわからない事件ではやった子の気持ちも話す
   (小原茂巳・佐竹重泰さん)
 やった子の気持ちを推し量って話すという事だと思います。する
とそういう気持ちに自分もなるなと思えば,気持ちはわかるけど,
やり方が不味いよということになり,事件後の信頼関係を崩しませ
ん。人格を否定するのでなく,方法を否定するという基本的な叱り
方のベースでしょう。
(6) いやなことはいやとはっきりいう(小原茂巳・中一夫さん)
(7) なぜ,怒っているのか自分の気持ちを説明する
 人の心はなかなかわからないということが,感情的になると,と
うぜんわかっている筈だとなります。感情的になるとは,同じ共通
理解があると思っていて,なのになぜわかってくれないのかという
ところから来ると思われます。
 伝え方を考えるということが,感情的な段階から,理性的な段階
に移行させるのかもしれません。子どもは先生何を怒っているのか
わからない,ということが案外多いものです。
 長々と書きましたが,書きながら,人と人がつながることの難し
さと深さを感じました。民主主義の問題とつながるなと思いまし
た。とても参考になる記事であると思いました。
◆5. 林泰樹「自然と育つのを待つ」
 ヒロ君に関わって彼を受け入れて行く学校,その学校組織をリー
ドする教頭先生の考え方に,こういう教頭先生もいるのだと嬉しく
なります。用務員さんも校長,教務主任も,学校全体がいい感じで
す。
 そこから板倉さんの「評価論」につなげ,引用されている文章も
とてもピッタリ来ました。「他人の評価の影」におびえるな,とい
う部分。「自分のデリケートさと同じようなデリケートさをほかの
人びとももっていること,つまり,ほかの人たちの人間性を認識す
る」というところなど,改めて,板倉さんの思想が伺えました。
「学校教育をはじめとする公的な社会の評価の仕方はいつも画一的
なものでありがちです。(……)しかし,そのなかで生きている人
間は,もっとデリケートな,もっと多面的な評価の尺度をもってい
ることも忘れてはならないと思うのです。人びとが公的な,画一的
な評価尺度をのりこえて,人間的な連帯性をもつようになったら,
権力者と民衆支配の根底がくずれ,この世の中は,もっともっと自
由で,創造にみちたものになるとわたしは思うのです」と実に明確
に語られていると思います。
 もう一つが「知識や技能は客観的に評価することはできても,人
間性とか創造性といったものは客観的に評価することは困難です。
(……)そういう最も重要なことはあからさまに評価しないで,自
然と育つのを待つよりほかない」という箇所。人間性は評価しては
いけない,という原則がこの記事のタイトルにつながっています。
〈たのしい授業の思想〉につながっています。「あからさまにそう
いうものを育成しようとしても逆効果になるだけだ」という警句
は,現実に道徳が教科になろうとしている今の教育界で,一番必要
な言葉に思えました。そして「結果的に」人間性を育成することに
なるのが,〈たのしい授業〉なのだということに改めて重要な箇所
であると思いました。
◆6. 重森幸代「言葉がけは否定形より肯定系で」
 養護教諭という場所から見えてくる大切なことが書かれていまし
た。実際に重森先生のような保健室の先生を私自身何人も知ってい
るので,頷きながら読みました。「たとえ忙しくても,相手がどん
な生徒でも,担任の先生の第一声は,やっぱりほっとするような言
葉をかけてあげてほしいな」という声をいつでも頭に入れておきた
いと思いました。
◆7. 小川洋「無気力な子どもたち」
 高学年になるにしたがって,子どもたちは学校のいろいろなこと
に飽きてきたのか,無気力に見えますし,無気力信号を発信しま
す。でも,本当はわくわくすることを望んでいるし,感動を求めて
いるのです。だんだんそのハードルが高くなるのでしょうし,求め
る姿を無防備にさらさない(「時としてカッコ悪く映る」)。大人
も同じですね。授業書の力が確認されました。
◆8. 井上勝「『感動』でつながる教師と子どもたち」
 授業書がなぜ,わくわくさせるか。大人をもわくわくさせるか。
そこに感動があるからです。「へー,そうなんだ!」という感動を
ともなった認識を与えてくれるからと思います。〈何より「感動」
が大切〉という板倉さんの言葉が全てを語ると思われました。
 わからされた授業=強制された認識に疑問をもち,たのしい授業
=感動をともなった認識を大切にする思想を確認させる記事でし
た。
◆9. 板倉聖宣「〈心〉を考えた科学教育」
 「死んだらどうなるか」は,わたしのとても好きな総合読本で
す。わたしは1970年代に教科書を使わない中学校(巨摩中)にい
たので,理科の時間に原子論を習いました。そのときに,自分の?
も,空気も水も大地も植物もすべて原子でできていると知って,と
ても感動したのを忘れることができません。
 「人種,国,男女などもともと同じなんだ,平等なんだ,生物も
無生物ももともと同じ物質なんだ,何億年も前の物質の原子が僕
の?をつくり,僕の?の原子がまた何億年も後の何かの物質にな
る。しかも,原子の違いは電子と陽子の数のちがいだけなんだ,な
んて壮大な真実だろう,つまらないことにこだわっているのが馬鹿
みたいじゃないか!」というような認識だったと思います。
 原子論という科学的認識の基本を,最近,板倉さんのようにはっ
きり言う方が少なくなっている気がします。ドラマなどエンター
テーメントでも霊魂が出てくるものが半数以上あるような感じです
から,子どもたちのみならず,最近の私たちは現実をリアルに見つ
める目を失わされ,批判精神を鈍らせているように思います。科学
者,科学教育者のみならず,普通に教師は声をもう少し挙げなくて
はいけないのだと思いました。
 以上おもな記事の感想でした。

●松田心一(鹿児島)
◆「生徒が先生の示す評価にいちいち気を遣う必要のない授業を考
える方が幸せな選択」という佐竹さんに同感です。でも気にしてい
る教師が多いですね。「教師が忍耐し続ける授業」は,「生徒に
とってもちっとも楽しくない」はずです。
◆ですから,中林さんの言うように「叱ることを先延ばしして,後
で不愉快な思いをする」ような経験があるなら,「そのときに叱っ
ておけばいい」とは,その通りだと思います。山路さんはじめ『た
のしい授業』での実践をまねてるところがとてもいいです。
 仮説実験授業は,教師の価値観に基づいてホメルというより子ど
もが人として輝いて見える姿に感動するのですから,ホメルとは
ちょっとイエ全然違うと思うのですね。
◆このことは伴野さんも書いています。特定の子をイヤだな〜,変
なヤツ,苦手と思っていても,仮説実験授業やたのしい授業をすれ
ばそんな子どもたちがかわいくなってくる。好きにさえなってく
る。まさしく仮説実験授業やたのしい授業は,平和教育であり人権
教育でもあると思うのです。決して飛躍していっているのではない
ことは,授業したことのある人なら納得してもらえることでしょ
う。
◆それは,教師自身の人間的な成長や教育観,児童観さえも確かな
モノにしてくれることを林さんは語ってくれています。「きびしい
自己評価に自信をなくすよりもたのしい授業を続けることで,自分
の中にある教師としての人間性を育てる方がずっと健康的」と。教
師の健康的な精神や性格こそが,学校の教師にはまず第一義的に大
切なことだと思うのです。
◆板倉さんの「〈霊〉の問題を否定的に書いている本がない」との
指摘に,〈ほんとにホント,そうだなあ!〉と,自分の周辺を見渡
してみてそう思います。「霊=思い」とは,とても適切な表現だ
と,これまたナットク。「年忌の始まり」についての説明に,科学
史家=板倉さんならではの説明だと感じ入りました。
◆関連して平賀さんの「健闘を祈る」などの天皇会見での言い回し
の違いは,問題意識がなければ気付かないことですね。「〜祈りま
す」という表現を使っていないのがよく読み取れます。私も以前か
ら気にしていて―というよりも,以前板倉さんの提起に納得したと
きから聞き分けられるようになり,自分が使うときにも気をつける
ようになり ました。
◆井上さんの《光と虫めがね》は,感動する授業つまり感動こそが
その人の精神を動かし価値観や生き方をその人自身が自らを変えて
いくことになること。仮説実験授業やたのしい授業はそのための大
きな機会となることを実証してくれる素敵な報告=実践記録となっ
ています。
 
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